龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

烈海の艨艟

装甲巡洋艦大山型(おおやまではない)

阿蘇型装甲巡洋艦に続いて同型を改良して建造された。 基準排水量21000t水線長225m最大幅23.5m、55口径20.3㎝自動砲連装4基8門搭載,発射レート10/min(最大)、98式65口径10.5㎝連装高角砲8基16門搭載、主要部に20㎝砲防御、弾薬庫・司令塔に対30cm砲防御、速…

烈海の航跡4

第一次世界大戦の勃発により、日本は日英同盟の縁からドイツに宣戦布告、未曾有の大戦争に参戦する。日本海軍は青島攻略戦、ドイツ東洋艦隊追撃戦、エムデン追跡等の戦いに参加したが、エムデンの捕捉撃沈とドイツ東洋艦隊の太平洋脱出に伴い、アジア太平洋…

烈海の航跡3

日露戦争における駆逐艦の働きは、その可能性と限界の両方を見せていた。来るべき段階、太平洋を新たな主戦場と定めた構想の中で、従来型の駆逐艦は戦闘力、航洋性能、航続力などあらゆる面において既にその活躍の場を失っていた。海軍としての日露戦争の勝…

烈海の航跡2

日露戦争を日本海海戦の勝利によって乗り切った日本海軍だったが、弩級艦の登場と仮想敵国としてのアメリカの出現という衝撃に従来の海軍像が揺さぶられることとなった。鹵獲したロシア艦を含めて前弩級艦は新造の香取・鹿島、建造準備中の薩摩・安芸に至る…

烈海の航跡1

日本海海戦で連合艦隊の追撃を逃れたロシア巡洋艦2隻による、ウラジオストックを拠点とした通商破壊戦の再開に対して、多数の主力艦が修理や整備のため戦列から外れていた海軍は一時的ではあるが有効な対抗手段を持つことができなかった。太平洋、日本海と神…

1941.12.8開戦

真珠湾攻撃部隊 第一機動部隊(空母)翔鶴・瑞鶴・飛龍・蒼龍・飛隼・蒼隼(巡洋艦)阿蘇・浅間・利根・筑摩・阿武隈(駆逐艦)秋月型4隻・陽炎型10隻・夕雲型2隻 支援艦隊 (油槽補助空母)高崎・剣崎(巡洋艦)五十鈴(駆逐艦)初春型6隻(その他)油槽船6隻 ウェーキ…

③計画

昭和12年、ワシントン・ロンドン軍縮条約の失効に伴い、日本海軍は無制限下で艦艇の設計建造を行う自由を取り戻した。その最初の建艦計画に当たるのが、③計画(昭和12年度海軍補充計画)である。この計画において海軍は戦艦2隻大型空母2隻を含む70隻を超える多…

日本海軍駆逐艦史3

昭和9年、ワシントン・ロンドン軍縮条約から脱退した日本海軍は、条約期間明けの昭和11年を見越して新型駆逐艦の設計に入る。朝潮型駆逐艦である。このタイプでは軍縮条約のくびきを逃れ、排水量武装等何の制約も無しに設計することが可能になった。一方この…

日本海軍駆逐艦史2

1930年のロンドン軍縮条約の締結により、日本海軍の駆逐艦建造計画も大幅な変更を余儀なくされることになった。既に大型駆逐艦吹雪型を多数保有もしくは建造中であった日本海軍は、条約の規定により1500トン以下の基準排水量でしか新規に駆逐艦を建造するこ…

日本海軍駆逐艦史1

伝統的に日本海軍が水雷戦力を重視したのは、貧乏国家日本にとっては魚雷攻撃の費用対効果が非常に魅力的であったからだ。日清戦争における威海衛水雷強襲、日本海海戦における水雷夜襲等、戦史上における赫々たる戦果を上げてしまった上は尚更その信仰に拍…

海防艦に必要なもの

40口径75㎜連装自動砲×3、35mm連装機銃×6、20mm機銃×18、後まともな高射指揮装置。戦史をみてると、米陸軍機(特にB25)に沈められた艦船が多すぎる。前方機銃で対空火器をぼろぼろにされた後、反跳爆撃で止めを刺されてしまうケースがほとんどだ。これに対抗…

日米戦争への道 2)

1939年6月 宇垣内閣は満蒙国境紛争鎮静化のため海軍陸戦隊2個旅団及び海軍航空隊をノモンハン方面へ増派、更に機動師団に改編を終えたばかりの第2師団及び第6師団と新設の第1戦車師団を関東軍に編入した。 同年7月初旬 ソ蒙軍はハルハ河を越え、第23師団及び…

日米戦争への道

1938年5月 国民党政府は満州国、内モンゴル、中国共産党支配区以外の中国地方政府を完全掌握、地方軍を解体国民党政府軍に吸収。 同年6月 第2次国共合作が破棄され国共内戦が再発、北支方面の共産党勢力掃討される。 同年10月 内モンゴルに侵入した国民党軍…

陸軍の海上機動構想

第一次上海事変において海軍の機動輸送艦天龍及び龍田の見せた有用性は、兵力の緊急展開や上陸作戦時時における戦力運用の部分で陸軍に大きな影響を与えた。事変中機動輸送艦が連合艦隊に所属していなかった*1ため、事変時機動輸送艦による陸軍兵の輸送や陸…

第2次上海事変での海軍の戦闘2

上海方面では、当時日本海軍が保有していた戦闘可能な航空母艦のほとんどが実戦に投入され、その実用性が試されている。上海における戦闘勃発時、同方面には飛隼、龍驤からなる第一航空戦隊が展開中で、中国空軍による上海租界爆撃に対して哨戒中の艦戦が迎…

第2次上海事変での海軍の戦闘1

実質3ヶ月あまりで終った上海から南京にいたる長江流域で起った日本軍と中国軍の戦闘において、変革途上の日本海軍艦艇はそこにどうかかわったのだろうか。日本海軍の主な作戦行動を追っていく。 まず事変勃発時、上海方面における中国軍の不穏な動きに対応…

水雷強襲艦2

水雷強襲艦を対戦艦主戦力とする戦術構想、それは艦隊決戦主義によって作り上げられた日本海軍の戦術を更に先鋭化した、奇手鬼道の戦術といっても間違いはない。従来の潜水艦、航空機、水雷戦隊による夜間襲撃等の後に主力艦による艦隊決戦に臨む漸減作戦に…

水雷強襲艦1

水雷強襲艦この耳慣れない艦種は、日本海軍の対米戦術の大変革に伴って生み出され、その後日本海軍が航空主兵に転じていく中でその存在意義を無くしていった、いわば大艦巨砲主義から空母機動部隊戦術への変遷の中で産み落とされた鬼子のようなものだった。…

水雷強襲艦3

日米主力艦隊による決戦が発生した場合、水雷強襲艦はどのように戦場に投入されるのか。そしてその戦いの中でどんな役割を期待されているのか。想定される各局面を見ながら具体的な戦術を見ていく。 1)偵察戦 米軍の侵攻を待ち受ける形での艦隊決戦で決着を…

重巡洋艦の雷装撤廃を受けた水雷戦力の補完構想

試案1)重雷装巡洋艦 5500t級軽巡を改造、主砲の一部や航空兵装を撤去、両舷に多数の魚雷発射管を装備する案は一部実行に移された。5500t級軽巡については、重雷装艦計画以外にも防空巡洋艦、機動輸送艦、対潜巡洋艦(護衛戦隊指揮艦)等の計画があったため、重…

雑記

烈海の艨艟を最初から読んだ人なら既に気が付いていると思いますが*1、この仮想戦史、出だしのところでいきなり蹴躓いています。ユトランド沖海戦に参加した日本海軍の水雷戦隊、この話自体がある事情からほとんどあり得ないものなのです。 この海戦に参加し…

重雷装主義の系譜

全ては加古の殉難から始まったことだった。室戸沖事件で加古に最大の災厄を与えたのが自らが装備していた61㎝魚雷の誘爆だったことが、帝國海軍の装備体系に大きな変革をもたらした。巡洋艦以上の艦からの雷装の撤廃、それは最上型や阿蘇型巡洋艦の誕生に大…

進行予定2

超重巡洋艦→金剛型と共に米巡洋艦群を制圧する目的で建造。55口径20.3㎝自動砲連装4基8門搭載,発射レート10/min、98式65口径10.5㎝連装高角砲8基16門搭載、主要部に20㎝砲防御、弾薬庫・司令塔に対30cm砲防御、速力34ノット航続距離18ノット18000㎞、当初は水…

進行予定

魚雷開発 93式酸素魚雷→重巡から雷装撤去→5500トン級改造重雷装艦、重雷装新艦種の開発 試製72センチ酸素魚雷→開発中止→更に大型化→試製81センチ酸素魚雷の開発 試製81センチ酸素魚雷→98式81センチ酸素魚雷(雷速45ノットで最大射程40km、雷速60ノットで最大…

第2次上海事変の背景

蒋介石率いる国民党政府は自信をつけていた。経済改革の成功、抗日排日的政策に対する国民からの支持、ドイツ、ソビエト、アメリカからの援助とそれによる軍事力の強化、そして日本政府の弱腰とも取れる日和見的な外交と日本国政府及び軍部の対中国政策にお…

上海派遣軍

危機的な状態に陥った上海の状況に対して最初に動いたのは海軍だった。沖縄を根拠地とする第一連合陸戦隊は、水上機母艦千歳千代田、最上型巡洋艦4隻、機動輸送艦天龍龍田、球磨多摩木曽*1、その他哨戒艇12隻*2哨戒輸送艦8隻に第一陸戦旅団を分乗させ急遽派…

装甲練習空母摂津 

条約明け後、摂津は練習空母及び標的艦としての機能を大幅に強化される。機関出力を大幅に増大する手段として、艦中央部と後半部を切断、切断部分に長さ25メートルの船殻を挿入、機関区画を拡大し新造の機関部を搭載した。さらに艦首部分も改造延長、この結…

空母型標的艦摂津

ロンドン軍縮条約において日本は、当時予備艦として在籍していた摂津*1を練習空母兼標的艦に改造する案件を要求し承認された。これに基づき摂津は機関部を換装艦尾を10m延長し速力19.5ノット排水量18000トンの、25ミリ鋼板で装甲された全通飛行甲板を持つ航…

飛隼以降の補助空母の建造計画

戦艦・巡洋艦から航空兵装を全廃する方針を立てた日本海軍は、洋上における航空兵力を基本的には空母で集中運用していくことになった。従来艦載水上機の任務だった、偵察・哨戒・弾着観測などは小型の補助空母搭載機が担当するため、補助空母の整備が進められた…

最上型軽巡及び派生巡洋艦

最上型軽巡は大量建造された5500トン級巡洋艦を代替するものとして計画されたため、量産性と汎用性に考慮した船体設計がなされていた。ロンドン軍縮会議以降に計画された巡洋艦のうち最上型軽巡を基本設計としていないものは、大型打撃巡洋艦として8隻が計画…