龍神沼の自由帳

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日本海軍駆逐艦史2

1930年のロンドン軍縮条約の締結により、日本海軍の駆逐艦建造計画も大幅な変更を余儀なくされることになった。既に大型駆逐艦吹雪型を多数保有もしくは建造中であった日本海軍は、条約の規定により1500トン以下の基準排水量でしか新規に駆逐艦を建造することができなかった。水雷戦力を艦隊決戦における主要な戦力のひとつとして重要視していた日本海軍にとって、ロンドン条約の枠内で駆逐艦を整備するということは、決戦兵力のうちの大きな部分を占める水雷戦力の弱体化、言い換えれば必要とされる水雷戦力の不足につながると考えられた。そこで艦政本部から提案されたのは600トン級水雷艇と同じ建造手法であった。2000トン級の駆逐艦を念頭に設計し、そこから船殻も含めて500トン分を後日増備することにして一まとめに取り去る。電気溶接とブロック工法及びモジュール設計の概念を取り入れることによって設計された初春型は、基準排水量1400トン水線長95m全幅10.5m機関は艦本式オールギヤードタービン2基主缶3基で速力35ノット航続距離14ノットで4500海里、兵装は50口径127mm連装砲塔2基4門、61cm3連装魚雷発射管2基、さらに新機構として次発魚雷装填装置を装備し、短時間で魚雷の再装填が可能になっている。モジュール化された増備分の船殻が挿入時の性能は、基準排水量1950トン水線長116m全幅10.5m主缶1基増で速力38ノット航続距離16ノットで4200海里、兵装は主砲を1基2門と3連発射管1基を増備し、吹雪型を上回る性能の駆逐艦になるはずだった。初春型はⅠ型6隻が建造された後、排水量を若干増やし発射管を4連装2基に変更したⅡ型(白露型)が10隻建造された。初春・白露型の改造は友鶴型水雷艇がそうであったように、結局実施されることはなかった。同型は砲力に問題はあったものの速力や雷撃力には運用上ほとんど問題が生じなかったこと、改造工事に費やされる工程や予算を新規建造に向けたほうが費用対効果の面で有利なことなどが主要な要因であるが、設計側が後日装備という理由をつけて用兵者からの過剰な性能要求をかわそうとしたのではないか、という憶測が海軍関係者の間で囁かれたこともあったという。