龍神沼の自由帳

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日本海軍駆逐艦史1

伝統的に日本海軍が水雷戦力を重視したのは、貧乏国家日本にとっては魚雷攻撃の費用対効果が非常に魅力的であったからだ。日清戦争における威海衛水雷強襲、日本海海戦における水雷夜襲等、戦史上における赫々たる戦果を上げてしまった上は尚更その信仰に拍車がかかっても仕方がないところである。その信仰を一時とはいえ打ち砕いたのは、ユトランド沖での水雷戦隊の一方的な敗北だった。そこで日本海軍はその壊滅的な損害の中から、水雷戦隊の被害抗甚の低さに気づいた、いや気がついたというよりは水雷戦隊が持つ強力な攻撃力の代償として付随する脆弱性を直視させられることになった。本来その打たれ弱さは、水雷戦隊の隠密性と機動性によって大きくカバーされるため問題視されていなかった。しかしいったんその存在が暴露されてしまえば、充分な直衛戦力を持つ艦隊にとって水雷戦隊による攻撃は、もちろん脅威ではあるものの充分に対処できる程度のものでしかなくなってしまう。
ここにおいて日本海軍は、水雷戦力に対する見直しを強いられることになる。貧乏であるがゆえに頼らざる得ない水雷攻撃力、これを有効な戦力にするためには何が必要なのか。機動力・隠密性を高める方向は程度問題であり、問題の根本的解決にはつながらなかった。日本海軍が出した回答、それはまず第一に指揮艦の抗甚性の見直しと砲戦能力の強化であり、その第一歩として加古型巡洋艦が建造されることになった。第二に求められたもの、それは水雷戦隊に加えられる攻撃を排除するための戦力の構築である。古鷹型から条約型にいたる重巡洋艦の建造は、敵艦隊の戦艦部隊直衛戦力である巡洋艦駆逐艦の排除を目的として進められた。その一方で、水雷戦隊の中核をなす駆逐艦それ自体にも改良が加えられていく。隠密性に関してはある程度の配慮は依然として残っていたものの、艦型の大型化が進められたことにより実質的には放棄されてしまっていた。駆逐艦の攻撃力機動力の強化は、吹雪型駆逐艦の登場によってひとつのピークを迎えた。2000トン強の船体に旧式の軽巡洋艦の砲力を凌駕する12,7㎝砲6門と強大な破壊力を持つ61cm魚雷を3連装3基積み38ノットの高速で戦場を駆け回る吹雪型駆逐艦は、平賀造船大佐設計の20センチ砲搭載巡洋艦とともに列強の建艦計画を全面的に見直させることになり、さらにはロンドン条約による巡洋艦駆逐艦等の補助艦の建造規制へとつながった。