龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

日米戦争への道

 1938年5月 国民党政府は満州国内モンゴル中国共産党支配区以外の中国地方政府を完全掌握、地方軍を解体国民党政府軍に吸収。
 同年6月 第2次国共合作が破棄され国共内戦が再発、北支方面の共産党勢力掃討される。
 同年10月 内モンゴルに侵入した国民党軍と、関東軍の支援を受けた蒙古連盟自治政府との間に軍事衝突が起る。
 同年12月 満支国境に関東軍3個師団が展開、日本の軍事圧力により国民党政府による内モンゴル併合は中断される。これを機に、再び中国国民の反日運動が活発化。
 1939年1月 ソ連米国の仲介により国共内戦終結、第3次国共合作が成立。中華民国に対して米ソの軍近代化のための援助が活発化する。
 同年3月 中華民国軍、満支国境に動員を開始する。同年5月には30個師団その他をあわせ50万あまりの兵力を集中。同時に上海方面でも軍事圧力を高める。
 同年5月 満蒙国境で軍事衝突発生(第一次ノモンハン事変)、満支国境に兵力を集中していた日本軍は紛争の政治的解決を図ろうとしたが、ソ連蒙軍は満蒙国境問題の解決を図るとして派遣兵力の大増強を開始。
 同年6月 大陸での危機的状態に当時の平沼内閣は退陣、宇垣一成陸軍大将を首班とする準戦時内閣が発足、大本営が設置されるとともに予備役の招集が開始された。陸軍は第2次上海事変とその後の国際情勢の変化にともない軍事力の増強を図っていたが、1939年6月時点では歩兵師団を中心に25個師団を保有するのみだった。