龍神沼の自由帳

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水雷強襲艦1

 水雷強襲艦この耳慣れない艦種は、日本海軍の対米戦術の大変革に伴って生み出され、その後日本海軍が航空主兵に転じていく中でその存在意義を無くしていった、いわば大艦巨砲主義から空母機動部隊戦術への変遷の中で産み落とされた鬼子のようなものだった。強大な水雷打撃力と40ノットを発揮する高機動力、中小口径砲による阻止砲火を跳ね返す重防御、犠牲にされたのは汎用性そのものである。4000㎞しかない航続力は、その劣悪な居住性と共に船団護衛など長距離の航海には使えないものである。いや対潜兵装さえこの艦には用意されていなかった。それどころかその運用は水雷強襲戦隊としてのものしか考えられておらず、指揮用巡洋艦以外のどんな艦艇との艦隊行動も考慮の外となっていた*1
 水雷強襲艦はロンドン軍縮条約枠外で建造された基準排水量3200tの呉型輸送特務艦をベースに、98式84センチ酸素魚雷一本を収めたそれぞれ独立した発射管8基を載せ、出力80000馬力の機関缶室に積み替え、艦前半部に防御装甲を貼った、主力戦艦同士が砲撃戦を行う艦隊決戦において敵戦艦を強襲雷撃するためだけに存在する雷撃専任艦だった。主兵器である98式84cm酸素魚雷*2は雷速40ノットで最大射程40km、雷速55ノットで最大射程15km、炸薬量最大1.8t、当時存在したあらゆる戦艦を一撃で撃破することが可能と思われていた。備砲は前方の敵にしか使用できない50口径14㎝固定砲2門と、弱点である側方後方からの駆逐艦等の攻撃を阻止する為の40口径7.5㎝連装両用砲2基、後は35㎜連装対空機銃が4基で、いずれも自艦防衛用兵器として搭載していた。
 兵装配置は、魚雷発射管を艦中央部から後部にかけて両舷に4基づつ艦中心線に平行に搭載、発射時は舷側から45度の角度まで舷外に射角を採るようになっていた。14㎝砲は艦橋前方に艦橋と連続して盛り上がった瘤のような部分に2門突き出していた。それぞれが独立して操砲できたが、射角は限定されており前方の敵に対してしか撃てなかった。ただ発射速度は高く一分間に10発以上砲撃することが可能だった。7.5㎝連装両用砲は艦後部に背負い式に2基、35㎜連装機銃は艦橋後方と後楼付近にそれぞれ両舷に一基づつ、という配置で装備された。
 水雷強襲艦を特徴付けるのはその雷撃力・高速のほかに、艦正面の防御だけなら重巡洋艦に匹敵いや凌駕する重防御が挙げられる。大きな角度で傾斜している主砲室から艦橋にかけての構造物前面は厚い装甲とあいまって高い避弾経始を持ち、水平に近い入射角度なら20㎝砲弾の直撃に抗することが可能だった。また弾薬庫も20㎝砲弾の直撃に耐える装甲を与えられていたほか、艦前半部の主要箇所には対12cm砲防御が施されていた。この艦の戦闘艦橋では戦闘時艦橋要員は全員後ろ向きに配置され、その背中を支えるように緩衝材が巻かれた弾力性のある支柱が立っていた。操舵は潜望鏡のような前方偵察装置を覗きながら行われた。もちろん艦橋前面に直撃弾を受けたときの対衝撃対策である。それに対して艦中央部から後部にかけては一部に弾片防御がされているぐらいで、ほとんどの部分は未装甲だった。ただ魚雷発射管は機関砲や至近弾程度では貫通できない装甲が施されていたが、それも直接舷外にむき出しになっている側面だけだった。水雷強襲艦がその攻撃力を最大限に発揮する為には、弱点の側面や後方から攻撃をかけてくる巡洋艦駆逐艦を排除する必要があった。

*1:水雷強襲艦への燃料補給と偵察上空援護任務の為に建造された高崎・剣崎はその例外であるが、その2艦にしても水雷強襲艦と一緒に艦隊行動をすることは一切考慮されていない

*2:水雷強襲艦が計画されたときは魚雷開発の計画さえ存在していなかったが、技術的な問題は既にクリアされていたので、開発が成功することを確信して水雷強襲艦計画も84cm魚雷開発も開始された