龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

水雷強襲艦2

 水雷強襲艦を対戦艦主戦力とする戦術構想、それは艦隊決戦主義によって作り上げられた日本海軍の戦術を更に先鋭化した、奇手鬼道の戦術といっても間違いはない。従来の潜水艦、航空機、水雷戦隊による夜間襲撃等の後に主力艦による艦隊決戦に臨む漸減作戦に代わり、戦闘予定海域まで米軍を引き込み、圧倒的な水雷打撃力で一気に米主力艦を撃滅するその戦術の前提は、多数の水雷強襲艦を予定戦場に送り込むまで、対策を採られないようにその存在を隠し通すことにあった。そのため条約が明けても訓練用の僅かな艦以外水雷強襲艦が直接建造されることは無く、呉型機動輸送艦*1の建造が続けられた。そして僅かに建造された水雷強襲艦もその存在は極秘のものとされたうえ、発射管と艦前面の装甲は装備されておらず、その重量分のバラストが元の重量バランスに応じて積まれていた。魚雷発射訓練は主に陸上にある施設で行われ、洋上では襲撃運動の訓練が4隻で編成される強襲隊によって実施された。
 水雷強襲艦は当初の予定では、4隻編成の強襲隊を3隊集合して編成した強襲戦隊を4戦隊、合計48隻が計画されていた。戦闘の際は一個強襲隊4隻で米戦艦1隻を攻撃するものと考えられていた。強力な水雷打撃力を持つ代わりになんの汎用性も与えられていなかったのは、一会戦で使い切る消耗品として割り切られていたからだった。日米関係が危機的状況になってきた場合は直ちに大量生産に移行する計画となっていたが、98式魚雷は量産が効かないため先行生産され保管庫にストックされていた。日米戦争が回避できないと判断された時点で、機動輸送艦として運用されていた呉型はただちにドック入りして改造工事が行われる。あらかじめ改造が行われる造船所には置換用の機関部や追加装甲等がストックされており、発射管の装備を除く全工程が終了するまでに40日余りの期間が予定されていた。改造工事が完了すると、あらかじめ定期的に訓練を受けていた乗員を乗せ、訓練航海をかねて呉工廠や横須賀工廠に向かって航行する。各工廠で発射管及び魚雷を搭載したあと新造艦として完成した水雷強襲艦と共に戦隊単位の訓練を実施、戦機に合わせて決戦海域付近の根拠地に向け出航、最終補給は高崎型給油空母*2から行われることになる。

*1:条約明けにともない速力の向上、防御装甲の追加などの改修が実施され特務艦籍から離れた

*2:本来高崎型は4隻の建造が予定されていたが、戦術の転換から2隻は計画中止とされた