龍神沼の自由帳

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上海派遣軍

 危機的な状態に陥った上海の状況に対して最初に動いたのは海軍だった。沖縄を根拠地とする第一連合陸戦隊は、水上機母艦千歳千代田、最上型巡洋艦4隻、機動輸送艦天龍龍田、球磨多摩木曽*1、その他哨戒艇12隻*2哨戒輸送艦8隻に第一陸戦旅団を分乗させ急遽派遣、開戦から3日目には上海特別陸戦隊と合流させている。この部隊は重砲や重戦闘車両を多数装備しており、上海市街に対する中国軍の攻勢を強力な火力で頓挫させた。さらにその10日後、陸軍3個師団と共に第一連合陸戦隊の第二陸戦旅団及び各鎮守府などから抽出された臨時陸戦旅団*3が派遣され、呉淞および川沙鎮に陸軍部隊が上陸、陸戦隊は上海南方に迂回上陸上海包囲軍の背後を脅かす作戦に出た。開戦から3週間目には更に陸軍2個師団が上海に送り込まれると共に、北支に増援されていた3個師団が南下を開始、上海で9月に行われた2度の攻勢により中国軍の防衛線は崩壊、日本軍は追撃戦に入る。更に杭州湾より3個師団が上陸したことにより中国軍の敗勢は決定的なものとなった。一方上海南部を大きく迂回しながら機動を続けた陸戦隊は、上海包囲軍の敗走を見るとその追撃を陸軍に任せ、兵力を再編した後揚子江を遡上、舟艇機動により南京を目指す。第一連合陸戦隊が南京後方に展開するに至って、ついに蒋介石は抗戦を断念日本政府との停戦交渉を開始する。これ以上の戦線拡大を望まない軍部の意向に従って、近衛政府は中国政府との間に停戦条約を締結、満支国境地帯中国側に非武装地区を設置双方の兵力を引き離すことで満州方面の安定を確保、上海方面の非武装地帯の拡大と排日運動への抑圧を条件に上海を除く中支からの全面撤兵を行った。

*1:天龍型の良好な運用実績から、旧式化しロンドン条約の枠外になっていた5500級巡洋艦の内の3隻が機動輸送艦に改造されていた

*2:旧式化した1等2等駆逐艦を改造した哨戒艇特型運荷艇の搭載運用能力を持つ

*3:事変中に第3陸戦旅団と改称