第一次上海事変において海軍の機動輸送艦天龍及び龍田の見せた有用性は、兵力の緊急展開や上陸作戦時時における戦力運用の部分で陸軍に大きな影響を与えた。事変中機動輸送艦が連合艦隊に所属していなかった*1ため、事変時機動輸送艦による陸軍兵の輸送や陸軍の要請による支援砲撃などが頻繁に行われ、水陸両用作戦でこの艦種が発揮した能力は陸軍首脳部にも正確に認識されていた。
1)機動輸送研究会
事変後陸軍は上陸作戦時に必用な船舶として大型の上陸用舟艇母艦及び海軍でいうところの機動輸送艦、更に戦車等の重車両揚陸用の機動艇と呼ばれるLSTタイプの輸送艦の開発を始める。これに先立って艦艇開発のため海軍に協力を求めたところ、同様の艦艇の必要性を感じていた陸戦隊および海軍艦政部より共同開発の申し出が有り、双方から人員を出して水陸両用戦用艦艇開発の為の協議機関が発足することになる。*2そこでは艦船の開発と平行して、その運用の陸海軍での分担についての協議が行われた。陸海軍の互いの面子と、それに加えてより大きなウエイトを占める予算分担の綱引きの為協議は難航したものの、上海事変が陸海軍にもたらした危機感から生じた兵力緊急展開構想故に停滞は許されず、双方が多くの譲歩をすることでその方針は固まっていった。
2)機動輸送構想における陸海軍協定
まず艦艇の操船及び固有兵装の操作については全面的に海軍の要員によって行われること、武装等艤装品は基本的に海軍が使用する装備を採用することが取り決められた。例外として、陸軍が河川警備等で独自に使用する舟艇については陸軍船舶兵が運用すること、大発や小発等に搭載する銃砲については陸軍装備を使用すること*3となった。これらの艦艇は基本的に海軍籍に置かれ、その維持経費は全面的に海軍の負担としたが、代償として平時においては海軍の運用が優先された。平時陸軍が使用する際は、その都度運用費を陸軍が負担した。建造費用については基本的に折半だったが、元来この枠組みに含まれていなかった旧式駆逐艦改造の哨戒艇や巡洋艦改造の機動輸送艦についても、海上機動作戦に投入されることを想定して改造費用の一部を陸軍が負担した。そのほか陸軍でいうところの特殊船、上陸用舟艇母艦に改造することを前提に設計された民間船の建造に対する補助金については陸軍が単独で負担していた*4。