龍神沼の自由帳

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レバノン南部と第2次上海事変の相似性

 昨日の極東ブログで、日支事変での上海から南京へと続く戦争の間の情景が描写されていました。それが頭に残っているときにふと似ているなと思ったことがあります。第2次上海事変については前々からその戦闘過程に興味があったので、ネット上での資料がほとんどですがいろいろと調べていました。北京近郊で起った盧溝橋事件を契機に起った北支での日本軍と現地国民党政府軍との戦闘が拡大していく一方で、蒋介石はドイツの軍事支援により上海近郊に一大軍事拠点を構築兵力を集中して、上海租界を警備する海軍陸戦隊に対して戦闘を仕掛けました。それに対して日本軍も直ちに大兵力を動員、上海方面での中国軍の脅威を排除する為の戦闘行動を開始します。
 上記の構図を今回のイスラエルイスラム原理主義武装集団の戦闘に置き換えて考えてみました。北支での軍事衝突をハマスイスラエル、それに乗じて上海で日本軍に決戦を挑んだ蒋介石を、レバノンからイスラエルに対して戦闘を仕掛けたヒズボラと見立てたとき、歴史の時空を飛び越えてこの二つの戦闘には大きな相似性があると感じました。日支事変を引き起こした大きな要素は、当時中国市民のおおきな支持を得ていた抗日でした。現在の中東での紛争の根本にはイスラム原理主義の政治的軍事的課題として掲げられた反イスラエルがあります。いずれも民衆の熱狂に支えられた政治的妥協を受け入れない*1排他的運動であり、最終的には対抗者を完全に排除することを目標においています。国民党政府をドイツが軍事的経済的に支援したようにヒズボラはイラン及びシリアの援助によってその軍事力を強化しています。かつての中国もイスラム原理主義武装集団もともに弱者の抵抗という立場に立って、いずれの場合も自らが仕掛けた戦争にもかかわらず国際世論を味方につけており、逆に当時の日本やイスラエルは自国の権益や国民を守るために受けてたった戦争にもかかわらず世界中の報道機関や一般民衆からの厳しい非難に晒され、国際的に孤立しているところまでよく似ています。
 ただ決着の付け方では日本とイスラエルは違っています。レバノンにおけるヒズボラの脅威を自力で排除できないままイスラエルはその解決を国連に委ねましたが*2、日本は逆に勝ちすぎてしまい当面の脅威を排除した後その鉾を納めることに失敗し、敗戦へと続く泥沼の戦いに自ら足を踏み入れてしまいました。レバノン情勢が向後どう進んでいくのか予断を許さぬ状況ですが、イスラエルの侵攻にストップをかけた以上、レバノンでの紛争の要因を除くのは国際社会の責任となっており、今後ヒズボラ武装解除に向けて国連を中心に各国が協力して真摯に問題の解決にあたることを望みます。

*1:特に中国においては政治的に妥協することは、弱腰であるとみなされ権力基盤を失うことにもつながりかねませんでした。

*2:ヒズボラ武装解除の進展具合によっては再び戦闘が勃発する可能性も充分ありますが