龍神沼の自由帳

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烈海の航跡3

日露戦争における駆逐艦の働きは、その可能性と限界の両方を見せていた。来るべき段階、太平洋を新たな主戦場と定めた構想の中で、従来型の駆逐艦は戦闘力、航洋性能、航続力などあらゆる面において既にその活躍の場を失っていた。海軍としての日露戦争の勝利がほぼ確定した浦塩沖海戦の勝利からまもなく、海軍は当時国内で多数建造中だった駆逐艦の工事を、竣工間近のものを除いて全て中断する。それと共に、新世代型駆逐艦についての整備構想に取り掛かった。それは長期間の外洋での行動を前提とする航続力の増加、凌波性の向上、武装の強化などに伴う、艦型の大型化、新型機関の開発など、当時の新興海軍たる日本海軍には持ち得ない新技術だった。そのため当時同盟関係にあったイギリスのヤーロー社に対して、プロトタイプとすべく浦風型4隻を発注、要求性能は排水量950トン/速力32ノット/主砲12センチ砲2門/45センチ単装発射管2基、さらに当時の最新技術重油石炭混焼式のタービン機関の搭載と、当時の駆逐艦としては最新のスペックが要求されていた。さらに新世代駆逐艦の大量配備を実現するため、武装や航続距離速力などをスペックダウンし、レシプロ機関を搭載若干艦型を小型化した二等駆逐艦櫻型10隻を、浦風型の基本設計を元に国内で設計建造した。その後も新世代駆逐艦の整備は積極的に進められ、第1次世界大戦がはじまるまでに、一等駆逐艦3タイプ14隻、二等駆逐艦2タイプ18隻が艦隊に配備された。