龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

命名王

1) 
 立花龍人が物心ついた頃、世間ではビートルズに端を発したGSブームなるものが大衆の注目を浴びていた。横文字の動物やら昆虫やらを使った耳慣れないグループ名は、ろくに英語も知らなかった彼の好奇心の対象物だった。次に彼の興味を引いたのは、モータリゼーションがいよいよ身近になり、彼の住んでいた田舎町でも交通渋滞を引き起こすようになっていた自動車の名前だった。王冠だの花冠だの稜線だのその意味を知るにしたがって、彼の興味はその元になった言語にはむかわず、名前をつけるという行為に引かれていった。お絵描きで車を描くと、彼は必ずそれに名前をつける習慣を持つようになった。彼は自分の身近にあるものに、自分だけに通じる名前を付け始めた。初めて買ってもらった自転車、文房具、田舎ではまだ珍しかった電話、次々とその種類を増やし始めていた電気製品。
 初めて自分のつけた名前が、他の人間からもそう呼ばれることになったのは、家に貰われてきた子犬の名前を考えたときだった。家族でなんて名前で呼ぼうかと夕食の話題に上がったとき、思わず彼の口から出た名前に家族の誰もが賛成してくれたのだ。彼は気持ちがよかった、何か周りの世界が急に明るくひろがった気がした。今まで、誰にも知られることも無く続けていたものに名前をつける行為が、みんなに認められることもあるのだと彼は気がついた。ただ普通の家庭では、家電や車に名前をつけて呼んだりしない。ペットだって名前をつける機会なんてそう有りはしない。庭の池で泳いでいる金魚やフナに名前をつけたって、誰もその名前を使うことなんてない。彼の内なる欲求、自分のつけた名前をみんなに使って欲しい、それはそう関単に叶うものではないことに、幼いながらも彼は気がついた。
 彼が小学生になったとき、彼の体は標準よりだいぶ小さかった。当時坊主頭だった彼は級友から、その頃はやっていたTV漫画の登場人物の名前をあだ名にされた。そうか、そんなやり方があったのか、彼は自分があだ名を付けられてから3日後には先生も含めてクラス全員のあだ名をつけていた。自分のつけたあだ名をみんなに知ってもらいたい、しかしその頃、どちらかというと一人でいつも何かを考えていることが多かった彼には、中のいい友達とか一人もいなかった。あだ名を使うきっかけがないことに、彼はいっとき呆然となった。どうすればいい、みんなと友達になって認めてもらえないと、あだ名をくちにするきっかけさえ作り出せない。仲良くなるしかない、彼は決心した。クラスの誰もと仲良くなるなんて、面倒な上に時間がかかる。手っ取り早いのはクラスの人気者と友達になることだ。彼は必死に考えた末行動を開始した。これは、と目をつけた級友の好きなこと苦手なものなどいろいろと調べ、共通の話題を作り、相手の苦手なものについては自分がフォローできるよう努力して身につけた。相手の気持ちを読んで、行動することもいつの間にか学んだ。全てはあだ名を使う機会を得るためではあったが、それを続けているうちに自然と彼はクラスの中に溶け込むことができるようになっていった。彼が教師たちのあだ名をみんなの前で口にしたのは、そろそろ梅雨が始まりそうな5月初めごろだった。受けた、まだまだ幼い級友たちは、彼のつけた教師の特徴をよく取り込んだあだ名を、大きな笑い声とともに受け入れてくれた。夏休みが来る頃には、クラスの誰もが彼がつけたあだ名で呼ばれるようになっていた。彼のクラスで自分のあだ名に不満を持つものは誰もいなかった、その頃急に背が伸びた彼だけを除いて。