龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

資源多消費型の経済成長から決別することが日本の未来に光をもたらす

 要はですね、労働に対する対価の評価の仕方を変えていく必要があるということなんです。一番の問題はサービス産業における労働の低コスト化に終止符を打つことがこれからの経済成長には重要であるという考え方を経済に関わる人全てが持たなければいけないと。現状での問題は、一部の産業を除いてサービスに払われる対価が低く、さらにそのサービスに対する評価が余りにも一律的であることです。端的な例が「スマイル0円」、どんなにすばらしい接客でもマニュアル通りの機械的な接客でも、客が払うサービスへの対価は一緒です。日本では「サービス=ただ」という考え方が近年根付いてしまい、慣習化している一部の業界を除いてはチップの概念が皆無です。本来は良質のサービスを受けるにはそれなりの対価を払うのが当然なんですが、日本ではほとんどの業界でサービスの技術の水準に関わらず一律的な料金体系を採っています。またサービス提供者もその技術の高さを、自分の仕事にプライドを持つための手段としてもち、経済的な活用といえばせいぜい客寄せの看板としてぐらいにしか使っていないケースがほとんどです。
 経済の規模を膨らますということは、単純にいえば誰もが多くの収入を得多くの消費をすることで実現できます。しかし地球上の資源が有限であり、工業化による経済の発展が今の中国をみればわかるとおり、環境破壊や格差社会の拡大に直結していることを考えれば、物を大量に生産しそれを大量に消費する形での経済成長は当に曲がり角を過ぎているといっても間違いないでしょう。そこで必要だと龍神沼が考えるのは、労働に対する価値観の見直しです。一部の高級品の世界ではそれが実現されています、商品に対して投入されたコストに見合う以上の付加価値を評価し、そこに高い対価を支払うことが恒常化されている商業分野は枚挙に暇がありません。それが「物=商品」でなく「サービス=商品」として考えたとき、与えられたサービスに対して正当な対価が支払われていない、あるいはサービス提供者自身が自分の技術に対する正当な対価を要求しないという考えに囚われている、そういうケースが一般的になっています。「いや、高い技術のサービスに対して正当な評価と対価が与えられているよ」と考える人も多いかもしれませんが、それは実際にはレアケースでありサービス業全体から見ればほんの一握りにしか過ぎません。日本最大の外食チェーンマクドナルドではスマイル0円が当たり前であり、客もそれを当然としています。そして同様にほとんどの大規模サービス業では、その状態が普通であると考えられています。
 ここで考えて欲しいのは、金は天下の回り物という言葉です。仮に、サービス力の高低によって商品の価値が変わるとしたら、高いレベルのサービス力を持つ人はより多くの収入を得ることができます。そしてそれによって得た+分の収入は消費に廻り、同様の高いレベルのサービスの対価として支払われることになります。この循環が正常に働けば経済の規模は資源の浪費を伴わなくとも*1拡大していくわけです。社会の構成員の多くがこの循環の中で収入を増やしていけば、商品としての物もまた変わっていくでしょう。大量生産の規格品から、マンパワーを集約した工芸品的商品に手をだせる層が拡大していけば、江戸時代の日本のような、高度な技術を持つ職人的製造者集団の復活にもつながるかもしれません。脱石油文明的高度循環型社会を目指すことも夢ではないかもとか、想像してしまいます。
 と、長々と書いてしまいましたが、端的にいえば国民の収入を増やせば経済は成長するけど、資源多消費型の産業構造では地球の環境がもう持ちませんよ、だから新しい価値創造をしましょうね、ってことです。

*1:実際にはサービスだけでなく物に対しても使われるだろうから、単純に言い切ることはできませんけどね