龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

昔の話題の蒸し返し

 ということで前上げたエントリー越えられない大きな壁について捕捉というか注ぎ足しというか。中国様が積極的に他国に攻め込んだ戦争に中越紛争*1があります。1979年子飼いのカンボジアクメールルージュ政権をベトナムの侵攻で打ち倒され、大国の面子を潰された中国は、訒小平の号令のもと20万の大軍を率いて統一ベトナムに侵攻しました。一月足らずの戦闘で戦争目標を達成したとして、ランソン攻防戦での中国軍の勝利の直後ベトナムが総動員体制をひき反撃に移ろうとしたところで中国軍は撤退を開始、戦闘は終息しました。この戦闘での双方の損害はほぼ同程度、政治的にはベトナム制裁の大義名分を果たしたと主張する中国に分がありましたが、近代化が遅れ旧式装備で戦った為、当時東南アジア最強だったベトナム軍に対して中国軍は終始苦戦を強いられており、大軍を率いて攻め込んだ割にはベトナム軍を圧倒できず、軍事的には不満足な結果に終ったといえるでしょう。背景には当時の中ソ対立があるとはいえ、同じアジアの社会主義国家同士の戦争に、そのころの龍神沼は違和感を感じました。
 今考えるとあの戦争に中国が踏み切った理由は、中ソ対立とかベトナム軍のカンボジア侵攻とかとは別に、かつて中国の支配下にあったベトナムが中国でさえ朝鮮戦争で勝てなかったアメリカを、ベトナム戦争で敗北させたことに対する嫉妬心があったのではないかと邪推するわけです。アメリカに勝ったベトナムよりさらに強い中国様がここに有り、といった子供じみた大国主義が中国をベトナム制裁に駆り立てたのではないでしょうか。かつて太平洋戦争末期、ソ連は一方的に日ソ中立条約を破棄して日本に攻め込みました。そのときソ連の指導者スターリン日露戦争の復讐戦を果たしたといったとかいわないとか、日清戦争後の三国干渉に日本国民は臥薪嘗胆復仇を願ったとか、国家間の紛争はうらみを深く永く残すものみたいです。その辺を考えると、泊村江での勝利以降日本に負けっぱなしの中国様のプライドは深く傷付いたままでうらみを残したままでしょう。中国が幻想とはいえ世界の超大国としての軍事力経済力を蓄えつつある今、日本に対する積年のコンプレックスを解消するときが近づいてきたと中国国家指導者達*2が考えていると妄想することは、あながち間違いでもないような気がいたします。
 ところで韓半島の人々が文禄慶長の役のことをいつまでも言及し続けるのは、それが朝鮮に深い傷跡を残したこともありますが、それ以来近代に至るまで対外戦で勝利する機会を持たなかった朝鮮の、それ以前のかなり長い期間も含めての唯一外敵を撃退できた記念すべき戦いだったからではないでしょうか*3、なんて思ってみたりして。

*1:越中紛争だとなんだかなあ、なので中越紛争

*2:というか江沢民一派

*3:戦争の遂行者だった秀吉が死んだことが日本軍撤退の原因ではあるんですけどね