龍神沼の自由帳

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フランケンシュタイン博士の人造工業国家

中国の工業技術の基盤は根幹に旧ソビエトの技術があり、もっと深い部分では中華民国時代に欧米や戦前の日本から進出した企業の技術が残滓としてある。それらの技術を継承発展させた形で改革開放以前の中国工業が形成されていたわけだが、実際の話継承はあったかもしれないが発展という部分ではかなりの疑問符がつく。たとえば中国の自動車産業VWが工場進出してサンタナを造り始めるまで、中国を走っていた乗用車は上海と紅旗以外ほとんど存在しないといってよかった。もちろんソ連の車のデッドコピーである。軍需産業でも軍用機はMIG17や21等を自国用にモデファイしたものがほとんどで、完全な自国開発のモデルは高度な技術を必要とする航空機では実質的に存在しない。日米との国交正常化による産業交流の効果が出始める70年代中盤まで、中国の工業技術は停滞を続けており、1950年代の技術が工業のメインストリームを走っていた。
中国が近代化への本格的な舵取りを始めた、1978年の改革開放開始からすでに30年以上がたつ。その30年余りの年月の間に、われわれ日本国民の身の回りにはさまざまの中国製品が溢れかえるようになった。さまざまな日用雑貨や衣類や電化製品が、中国から津波のように輸入されている。しかしあなたは中国製の乗用車を見たことはないし、自分が購入する車の選択肢に中国ブランドの車を置くこともないだろう。改革開放から30有余年たっているにもかかわらず、中国製の自動車は日本の路上をほとんど走っていない。おなじ年月を敗戦から30年たった日本と較べたとき、1970年代の日本は世界中の市場に進出し低価格と信頼性を売りに、性能面においても欧米車に比べ優位に立つとまではいえないが欧米ユーザーを納得させるものを持ち、その結果として日米自動車戦争を引き起こしたし、仏伊では輸入台数制限という貿易障壁さえ作られていた。日本の自動車産業は敗戦後の焼け跡の中からほとんど徒手空拳で世界最大の自動車生産国にまで到達したが、一方中国は世界中から工業技術を導入でき、また必要な資本も調達でき、さらに共産党独裁政権による強力なバックアップを受けていたにもかかわらず、いまだに世界水準に達する乗用車を世界市場へと送り出せないでいる。昨年世界最大の自動車消費国になったにもかかわらず、依然として世界に通用する車を作ることができないのだ。同様に日本においては高価格帯の電気製品で中国ブランドの商品を見ることはない。またUNIQLOの生産地が中国であることをあなたは知っているが、だからといって中国ブランドの衣類はあなたの購入の選択肢には入らない。中国ブランドの商品を買うとき、日本の消費者はそれを基本的に使い捨てするもの、あるいは壊れてもしょうがないものとして考えている。それほどに中国ブランドの工業製品は信頼されていないし、実際よく壊れるし、カタログ通りの性能も期待できない、改革開放から30年以上たっても、いまだにそんな程度のものしか中国の工場は送り出すことができない。
産業技術の分野では中国の脅威などほとんど存在しないといっていいだろう。中国の技術などいつまでたっても寄せ集めのつぎはぎだらけのものでしかない。その技術を自家薬籠中の物としそこから継承発展させていく能力など、中華人民共和国成立からの30年間を見ても改革開放からの30年間を見ても、中国にとっては望んでも得られないものなのだ。彼らにできるのは技術を買うか盗むか奪い取るかでしかない。ただ中国の政治力、経済力はそれを可能なだけの力を持っていることは忘れてはいけないだろう。