龍神沼の自由帳

気が向いたら更新しますわ

敗北宣言

俺は物心ついた頃からずっとあるものと戦ってきた。なぜそいつと戦い始めたか、それは今となっては皆目見当もつかない。しかしまあオレサマの長い人生は、元旦から大晦日まで常にそいつとの戦いで彩られていたわけだ。そいつとの戦いにおいておれは常に優勢を保っていた。たまに局地戦で敗れることも有ったが、それは長い戦いの中においてはほんの小さな部分しか占めない。俺は元旦の雑煮から年越しの蕎麦まで、常に俺の食膳から宿敵しいたけを排除することに力を尽くし、そしてその大部分においておおむね成功を収めてきた。俺の家では俺が食卓に着くとき、祝い事以外のメニューでしいたけを使う料理などほとんど出ることはなかったし、祝い事のときでさえも俺の口にしいたけが侵入することはなかった。
鬼門は俺が口出しできない学校給食のメニューだったが、幸いなことにその当時しいたけは高級品で、今みたいに中国から輸入品がどんどん入ってくるどころか、中華料理の材料として東南アジアに輸出されていたそうだ。それゆえ学校給食でしいたけにお目にかかることは稀にしかなかった。その流れは、俺が大学に入り親元を離れたときも、入社して社員寮で賄いのおばはんの不味い飯を食わされてたときも変わらなかった。そして結婚、強い嫁では有ったが特にしいたけ好きではなかったので、俺の戦いはここでも勝利を収めることができた。子供ができても俺の勝利は続く。うちの子供たちはしいたけを家庭で口にすることなく育っていったのだった。
しかしこの世の中、いつまでも幸運が続くわけではない。時代は俺の知らないところで大きく旋回し始めていたのだ。そもそもの元凶は中国、中華人民共和国の改革解放にあった。どこかの阿呆が、中国でしいたけ栽培して日本に輸入したら一儲けできるんじゃないか、と考えたのがいけない。確かにそいつは最初は一儲けできたかもしれない。しかし強欲な中国人に金儲けのノウハウを知られてしまったときが終わりの始まりなのだ。あっという間に日本のしいたけ市場は、安価な中国産しいたけに席巻されてしまった。おかげでしいたけの市場価格は下がりまくり、かつての高級品の面影はどこへいったんだよ、そこらのちんけなファミレスのメニューからホカ弁のメニュー、カップめんの具にいたるまで、しいたけがあらゆる食シーンを侵略しはじめたのだ。かつては巻き寿司の中からしいたけをほじくり出すだけですんでいた俺のしいたけとの戦いだったのが、天津飯の卵の中に埋め込まれたしいたけ、チンジャオロースに大量にぶち込まれた細切りしいたけ、なぜか牛丼の中にまでしいたけを仕込んだなか卯の所為で俺の食のハートランド牛丼を食うときでさえ戦闘が勃発するというデンジャラスな世界、まさに食の同時多発テロ状態の真っ只中に放り込まれてしまったのだ。
それでもまだ朝晩の食事は家庭で摂っていたから、昼飯さえ慎重に選べばしいたけテロに遭遇することは滅多になかった。その状況が一変したのは俺の東京転勤の所為だった。単身赴任、なんと甘美な言葉の響き、24時間俺を束縛するものは仕事以外何物もない。BUT、しかしそこには大きな落とし穴があったのだ。3食のほとんどを外食に頼るその毎日の中で、おれがしいたけに接近遭遇する機会が圧倒的なまでに増えてしまったのだ。東京に来てからの俺の戦いは、日々戦局が悪化し続けていた。状況的にしいたけの排除が不可能な場面が、日々の外食シーンの中で頻発するようになった。しいたけ連合軍の大攻勢の中で、俺は末期のソロモン航空戦みたく消耗戦を続け、打ち続く敗北により敗北にたいして無感動になりつつあった。
そして今日、初めて入った食堂、チキンクリーム煮定食がメニューにあった。『おばちゃん、チキンクリーム煮定食ね』、待つこと10分余り、そいつは来た。しいたけが多すぎてクリームが白く見えない、いいか、しいたけが七分でチキンが三分だ、しいたけが七分でチキンが三分だ、OTL・・・食べたよ全部、ええ食べましたとも、ようくわかりましたよ、俺、しいたけ食ったて平気なこと、認めますよ、しいたけが嫌いな俺っていうのを演じてたこと、もういいですよ、しいたけが入っていようがいまいが、今の俺は関係なく飯が食えるっていうことで。

・・・でもね、干ししいたけはガチで無理、ぜってー無理。